3-4-(2) 町のうつりかわり P.69-72

昔の長与役場ふきん(1957年)

今の長与役場ふきん

「長与町の今とむかしだよ。」

「ずいぶんちがうのね。」

「長与町の様子は,どのようにかわってきたのかな。」

町の様子が,どのように変わったか話し合ってみましょう。

 160年ほど前の長与は,町ではなく村でした。長与村には,4500人ほどの人が住んでいて,ほとんどの人が農業をしてくらしていました。その後,鉄道ができて小さな汽車(きしゃ)が通るようになり,長与駅ができたそうです。また,80年ほど前には,バスも通るようになって,人々のくらしはべんりになってきました。

 長与町は,その後50年ほどの間に,大きくかわってきました。いくつも団地(だんち)ができて,住宅(じゅうたく)がたくさんできたので,人口はどんどんふえて1970年におよそ1万5000人だったのが2004年にはおよそ4万3000人になりました。そのため,道路も広がり,大きな店もできました。

 小学校は,長与小学校と洗切(あらいきり)小学校のほかに,高田小学校,長与北小学校,長与南小学校など次々に新しい学校がつくられ,今では,5校になりました。中学校は,長与中学校と長与第二中学校のほかに,1996年に高田中学校ができて,3校になりました。高等学校は,1979年長崎北陽台(ながさきほくようだい)高等学校がつくられました。このほかにも,1999年にシーボルト大学(今の長崎県立大学シーボルト校)ができて,町内には、幼稚園(ようちえん)・小学校・中学校・高等学校・大学とすべてがそろいました。

長崎県立大学シーボルト校

長与町の今と昔

役場も駅も新しくたてかえられ,たくさんの人々にりようされています。

町の様子が,どのようにかわってきたのか話し合ってみましょう。

昔(1958年)                   

役場

昔                        今

長与駅

                        

長与川

昔(1950年)                   今

船津(ふなつ)ふきん

昔(1960年)                   

本川内大越(ほんかわちおおこえ)ふみ切ふきん

昔(1971年)                   

長与ニュータウンふきん

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